ラファエル前派と、十九世紀後半の「激動の英国」

今日の日経新聞から大々的に引用。

中産階級は世界で初めて産業革命を達成した十九世紀英国社会の立役者だ。工場経営や商業、金融、または法律家、医師などの専門職に就いた彼らは、土地所有者でギリシャ、ラテンに源を発する人文主義の教養を持つ貴族層に対抗、「勤勉」「自助」「実利」といった価値観を武器に英国経済を主導した。

日本経済新聞 2007年7月1日 「美の美 近代の葛藤 ラファエル前派の精神(1)」より

二十一世紀日本の「IT革命の立役者」たるネット中毒層と、それに対抗する旧来からのデジン層、(って、死語か? デジンって。今ぐぐったら、たったの7件しかでてこないな (デジン = デジタル・オジンの略))

……最近はなんていうんだろ。

とにかく、こんな感じの世代。

私が入社した2002年4月の新人研修で、某編集幹部が「インターネットは仕事では(なるべく)利用しないようにしてください。われわれはあくまで紙メディアです」という趣旨の発言をしていた

http://yamamotot.iza.ne.jp/blog/entry/208372/

文化的にもビジネスモデル的にも産業革命期なみの対立があるような気がするけど。

芸術の分野でも、中産階級の存在感は無視できないものになっていた。美術評論家のティモシー・ヒルトン氏は著書『ラファエル前派の夢』で、十九世紀中ごろの美術市場を巡る状況をこう要約する。

「われわれは芸術のひいき層の推移が動かしがたく極まったことを認めないわけにはいかない。すなわち、田舎の大邸宅(カントリー・ハウス)から新しい都市へ、貴族階級からかまびすしい新興中産階級(ブルジョワジー)への推移である」

日本経済新聞 2007年7月1日 「美の美 近代の葛藤 ラファエル前派の精神(1)」より

「ひいき層」ってのは、絵を買う人ってことですかね。

「オフィーリア」は新しく美術愛好家として登場した中産階級の価値観に、ぴったりと寄り添っていたのだ。屋外での忍耐強い制作は、まさに「勤勉」さの鑑。鮮やかな色彩を実現する……作業は、ミレイ本人が述べたところによると、一日で硬貨一枚ほどの広さを仕上げるのが精いっぱいだったという。

日本経済新聞 2007年7月1日 「美の美 近代の葛藤 ラファエル前派の精神(1)」より

一日、硬貨一枚分で、全部仕上げるのに半年かかったらしい。

ラファエル前派に属する画家ってのは、何人ぐらいいて、全部で何枚ぐらいの絵を描いて、それを展覧会で見た「中産階級」ってのは何万人ぐらいいたんだろう。 (って、展覧会とかやってたのかな? この頃?)

「ぴったりと寄り添っていた」って表現が気になるんだけど。

仮にラファエル前派の絵が総計1,000枚ぐらいあったとすると、それを買う「美術愛好家」は最大1,000人しかいないんだから、その1,000人の価値観に「ぴったりと寄り添っていた」可能性はあるけど、それと社会全体の「価値観」はどういう関係にあるんだろう。

二十一世紀から当時を見ると、画家も中産階級も「その頃の人たち」ってことでひとくくりにしてしまえるような気がするけど。

じゃあ二十二世紀から現代を見ても、そういうふうにひとくくりにできるのかっていうと、できるのかもしれないけど、だからといって、今を生きる我々の芸術的な嗜好は例えば「IT革命の立役者たるネット中毒層」みたなくくりで、じっぱひとからげにはでき……

いや、できるのかな?

二十二世紀に残る「ファインアート」って、あるんだろうか?? ちょっと心配。

この本読んでみたいな。

ラファエル前派の夢

ラファエル前派の夢