斎藤環のクオリア批判「わたしいまめまいしたわ」展、東京国立近代美術館

なかなか面白い展覧会だった。……といっても、普通の面白さではなく、胸焼けするような感じ。確かに「めまい、しましたわ」。

そこまで自分に興味があるのか! 別にどうでもいいじゃん、誰も君の事なんか気にしてないよ! と言いたくなる。

自画像やセルフポートレートなんかは、まだわかりやすいからいいんだけど、例えば浜口陽三の裸婦のデッサン。なるほど、これは、裸婦を見て描いているように見えて、自分の腕試しというか「自分の観察」にもなっているのか。出来上がりを見て考えるのは裸婦のことではなく自分のことだったりするのだろうか。

舟越桂の彫刻。以前から、人物の絵や彫刻を見ると「この芸術家は人が好きなんだなー、何時間も、何日も人を観察してこうやって作品作るんだから。俺は嫌だなー全然興味ないし」なんて思っていたのだけど、芸術家の「人への関心」ってのは「自分への関心」にもつながっているのであろう。

河原温の作品もそう。自分の存在に対する関心が作品のテーマだったのか。なるほどわかりやすい。

展覧会について言及しているブログを検索して色々拝見していたら、「自意識過剰が気になる」と書いてらっしゃる方がいた。そうそう!! 自意識過剰!! でも自己に対する意識ってのは他者に対する意識にもつながる。芸術家ってのは「自分は何者なのか?」を考えることを通して他者を、社会を考える存在……なのだろうか。

アーティストに自意識過剰は付き物かもしれんが閉じてちゃかなわん。絵にしろ、歌にしろ、マンガにしろ、昔のでも今のでも、ナルシシズムが強いのはイヤだな、と思った。つきあう義理がないし。

http://normal.jpn.org/diary/2008/01/post_340.html

で、展覧会を見終わったあと、ミュージアムショップで「現代の眼」という、この美術館が隔月で発行しているニュースレターを買ったのだが、そこで斎藤環が「『私らしさ』の陥穽」と題して書いていた、この展覧会についての話がとても面白かった。

まず「アウトサイダー・アート」の話。

アウトサイダーってのは「正規の美術教育を受けてない」からアウトサイダー、というのがもともとの意味なんだろうけど、世間で言われているアウトサイダーアートの語感はちょっと違う。(独特の雰囲気を伴っている) 斎藤環はこのアウトサイダーを「表現者を演じる訓練を経ていない人々」のことであると定義する。「自我」と「表現」が「膚接していて隙間がなくなってしまったような状態」であると。

その表現は「表現であって表現ではない」「世界そのものすなわち自己そのもの」である。「他人に見せるためではなく、ただ自分自身のためだけに制作されたもの」である。

で、私たちがアウトサイダーに魅力を感じるのは、彼らの作品にダイレクトに表出している「私」に対して感じる(我々の)「失われた私」に対するノスタルジーなのではないか、と言う。

つまり、こういった表現は作為抜きに、自分の体の一部であるかのように自然に表現され(窮屈な社会のしがらみから自由であるように感じられ)、あぁ、いいわぁ、自由だわぁ、と感じられる、ということだろうか。(この段落、俺の解釈で書いてます)

で、そういったノスタルジーは「巧妙に偽装されたナルシシズムの徴候」であり、その代表が「クオリア教」なのである、と。

で、斎藤環が信頼するアーティストはそういった「素朴な私の全肯定」(俺が赤だと感じたんだから、それは赤なんだよ!! みたいなものか?) そういったものからは距離を置いている。例えば会田誠は、そういったアウトサイダー表現に見られるような「私」を先鋭的に拒否している。中ザワヒデキもそう。作品制作の過程に「私」を介在させないよう意識しているのだという。

で、じゃあ「私」を介在させずに何をどう表現するのか? と、ここで岡崎乾二郎クオリア批判を引用し「『赤でありながら赤らしくない』というのが赤の色を知覚すること」であるのと同じように「『私』らしくないものを『私』が作ってしまう必然性に表現の本質が宿る」のである、としている。

いささか乱暴な要約になってしまったが、この「現代の眼 567号 12-1月号 (2007-2008)」は薄くて安い割に面白く読めるのでお買い得だと思うので、興味のある方は買って全文読んでみて欲しい。

で、俺はこの話、あまりぴんと来ない。

アウトサイダー的直接表現と、「表現者として演じる」ことで表現されたもの。

後者が前者より巧妙な表現であることは確かだと思うけど、それだって結局「憑かれたように」「そうするほかはない」という衝迫(衝動・気迫?)があってはじめて表現を完成させられるもので、表現者を演じている、と斜に構えてみたところで「それ以外の表現」ができないことには変わりないのではないだろうか。

それに今回の展覧会を振り返って考えてみると、先に引用させてもらったような「閉じた自意識過剰・強いナルシシズム」を俺も感じたんだけど、これらの作品は後者なのか? 前者ではないのか? 岡崎乾二郎の作品なんて、一周しちゃってナルシシズムアウトサイダー作品にしか見えないけれど。

……と思った。

「わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者」展
会場: 東京国立近代美術館
スケジュール: 2008年01月18日 〜 2008年03月09日
住所: 〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
電話: 03-5777-8600(ハローダイヤル


数百メートル離れたところにある工芸館の展覧会も面白かった。須田悦弘のさりげなさすぎる木彫(会場入り口に作品一覧があるので、それを見ながらまわると、見逃さずにすむはず) 北川宏人の今風の若者の彫刻。あーいるいる、こういう人……って感じだけど、よく見ると、いそうでいない感じにも見える。橋本真之の巨大作品も面白い。物理学者が宇宙論の講義で解説に使いそう。その他、蒔絵の飾箱、ガラス細工、織物などお宝満載。めまい展の券があれば無料で見られる。2月17日まで。

「開館30周年記念展 II: 工芸の力 - 21世紀の展望」
会場: 東京国立近代美術館工芸館
スケジュール: 2007年12月14日 〜 2008年02月17日
年末年始休業日:12月29日〜1月1日
住所: 〒102-0091 千代田区北の丸公園1-1
電話: 03-3211-7781 ファックス: 03-3211-7783