最近のChim↑Pom (その1)

「アートソルジャー」(笑い) Chim↑Pomがひきおこした広島での『事件』について。

今回の事件はあくまで「作品の素材」ということで、作ろうとしていたのがどういう作品なのかまったくわからないので、なんとも言いようがないが、見聞きした範囲で感じたことを書いてみる。

といっても俺のような素人が今回の事件をどう考えるか、なんて話に興味がある人もあまりいないような気がするが、どっかの素人みたいな人が「こんなものアートじゃない」と言ってるのを多く見かけたので、まぁ俺が何か言うのも、そういうのと似たようなもんだろうし、ということで、あまり気にせずちょっと一言。

広島での飛行機雲

これはたとえ話で説明するとわかりやすいような気がするんだけど、例えば、映画「プライベート・ライアン」を見て、「ノルマンディー上陸作戦と、その後のヨーロッパ戦線での戦闘がいかに恐ろしいものだったか、知ることができた」と感じる人は、結構いるだろう、と思う。

けど、最後まで見て「そこで(実際に)戦死した人の気持ちがわかった」という人がいたら、うーん、ちょっと、それはどうかな、と俺は思う。

では、「俺はノルマンディー上陸作戦と、それ以後の戦いのことは、よくわかっている。映画『プライベート・ライアン』を見たからだ」という人がいたらどうだろうか。

(映画ではなく、実際の記録に基づいた本や映像をたくさん見た、という人なら「よくわかっている」と言ってもいいだろうか?)

原爆というのは、ちょっと、ひとりの人間が把握できるスケールを超えていると思うので、また少し違う話を例にして言うならば……

例えば、終戦直前「空母の艦載機が道を歩いてる人を追いかけて銃撃した」なんて場面を時々テレビや映画で見かけるけど。

「二十一世紀に、非常に安全な場所で、座り心地のいいソファーにゆったり腰掛けてお菓子を食べながら見る銃撃シーン」みたいな。(実際には、弾に当たれば血が出るどころか身体が木っ端微塵になってもおかしくない。そんな切迫感が全く無い環境でそれを見ているということ)

そんな「北北西に進路をとれ」みたいな感覚で見たものを「いかに恐ろしいことか(テレビで見たり、本を読んだりしたので)わかっている」と主張する感覚というか。

語弊があるかもしれないが、極端に言うと、そういう「体験」が「偽物」でしかありえない、ということがうまく表現されているのが、今回の飛行機雲だと思う。俺がこの「素材」にタイトルつけるなら「被爆六世の原爆体験」とか、そんな感じか。(五世とか四世でもいいけれど)

それは言葉でしかないし、文字でしかない、写真(つまり平面に映し出された、なにかに見える模様)でしかない、それ以上のものにはなりえない。

これは「不快なアート」だと思う。これは実行する前に地元の人達によく相談する必要があった。それは「おふざけでバカにしているから」ではなく『実際に体験したこと』は被爆者以外には伝わらない、伝えられない、だから本当の感覚は「わかりようがない」ということを表しているから。

……で、俺が、こんなふうに、この事件の話を見聞きして「どう感じたか」って話をしたところで、それは俺が勝手に感じてるだけで、実際の作り手のChim↑Pomの意図とは全くかかわりがない話なわけだ。(ここまでの「わかる・わからない」の話は「今回の事件」の話を見聞きしてどう感じたかって話にも適用できる)

作り手の意図と全く関わりが無いという意味では「ふざけている」「くだらない」とかいうのと全く一緒。それは見た人が感じたことだから、正しいも間違ってるもなく、「事実」なんだけど、作り手とは無関係。

だが、先日やっていた高円寺での個展(今回の「事件」で中止になってしまったやつ)、俺はこれ、中止になる前に見に行ってきたのだが、そこで「天気予報の『晴れ』のマークを拡大して背景に置き、その前で集合写真を撮る」というような作品が展示されていたような記憶がうっすらある。(その写真の横にテレビがあって、全国的に晴れている天気予報がエンドレスで映っていたと思う)

つまり、記号的なものと現実世界との関係に対する関心自体は、少なくとも(彼らの中の誰かのなかに)あるにはあったのではないかな、という気がしている。

カラスの作品

で、じゃあ、そんな作品を作る彼らのことを、俺が肯定的に考えているのかというと、実はそうでもなかったりして。

なぜ肯定的に考えられないのか、というと、理由はふたつあるんだけど、まずひとつは、彼らはとにかく「言葉が薄い」ということ。

しゃべる言葉に中身がない。驚くほど薄っぺらい。

例えば、カラスの群れを集めて都内を巡るという、彼らの作品「BLACK OF DEATH」

こういう作品も、あとから理屈をつけて、色々言うのは簡単だ。

カラスってのは、知ってる人も多いと思うが、東京では結構問題になっていて、大雑把に言うと、代々木公園とか新宿御苑をねぐらにしてるカラスが、朝、歌舞伎町や渋谷あたりに出張ってきて、飲食店が出すゴミをあさって食べたりしている (していた) わけだ。

で、東京都では「都民の皆さんからカラスによる被害や脅威を訴える声が数多く寄せられて」いるため、カラス対策のプロジェクトチームを作ってカラスを捕獲したりしているらしい。(参考)

まぁカラスの立場で言えば、「居心地のいい環境」を(人間が意図せず)作ってくれたから増えてしまったわけで、それを迷惑だといわれても、もともと人間のほうで勝手に作った環境にあわせて増えただけなので困ってしまう、と。

「頭悪そうな人間達が勝手にカラスを集めてその周りの人が迷惑がっている」という構図。

おふざけでカラス集めたりして、迷惑じゃないか! ……と怒ってる社会自体がカラスを集めていて、自分達で迷惑がっている……といったような感じ。

ここまで読んで「でも東京都とか関係ないでしょ。実際、卯城君はこんなふうに↓言ってるわけだし……」と思う人もいるかもしれない。

卯城 う〜ん…カラス集めようぜっていう発想は、別にアートでなくてもみんなやってるじゃないですか、おじさんとか(笑)。その発想が面白いかっていったら、別に面白くないから。それよりもやっている上での、どうしたらカラスが集まるとか、バイクの速度がカラスのスピードに合っているとか、カラスが……

Chim↑Pom:面白くなければ意味がない! 「日本のアートは10年おくれている」恵比寿ナディッフアパートで個展開催|カンボジアの地雷で高級バッグ等を爆破したり、ドブネズミを剥製にしたり、こっくりさんでタトゥーを入れたりするオモ... - 骰子の眼 - webDICE

これを読む限り、東京都がどうのこうの、人間社会がどうのこうの、なんてことは一切考えていないように見える。

ところが彼らは、少なくとも東京都のカラス対策のことは知っているらしい。

Accompanying that performance/installation, Becoming friend, eating each other or falling down together (2008), there was a video documenting how the crow had been ‘rescued’ in a midnight raid on one of the traps installed in the metropolis by the famously anti-crow Tokyo Governor, Shintaro Ishihara. ‘We took your crows!’ the artists can be seen scrawling on a sign outside, adding the tag ‘C ↑ Shepherd’ and jokingly aligning themselves with Japan’s environmentalist tormentor, Paul Watson.

……これらの展示と共に、この作品「友情か友喰いか友倒れか」には、ビデオの記録映像があり、どのようにしてカラスが「救出」されたか、「反カラス」で有名な石原都知事が東京に仕掛けたカラストラップのひとつを、彼らが深夜に襲う様子が記録されている。

「お前のカラスは頂いたぞ!」彼らは立て札のひとつにそう落書きし、「C ↑ Shepherd」(シー・シェパード)と書き加え、冗談めかして彼ら自身を、(捕鯨問題で日本を悩ます) Paul Watson氏(の環境保護団体、シーシェパード)になぞらえた。

(ちょっと意訳気味)

http://www.frieze.com/shows/review/chim_pom/

これは、夏に行われた彼らの展示の話で、カラスを集める作品とは別の話だが、とにかく東京都のカラス対策については (トラップがどこに仕掛けられているかを知っている程度には) よく調べて知っていると考えていいだろう。

(ちなみに、上記の記事が掲載されているサイトは、アート雑誌「Frieze」やアートフェア「Frieze Art Fair」で有名なFriezeのサイト) (参考)

まぁ、いちいち作品について細かく解説するべきだ、とは言わないにしても、作品をつくるまでのいきさつだとか、ふだんから関心を持っていることなんかについて、もうちょっとマジメに語ればいいものを、この卯城君の話す内容というのは、だいたいどんなところでも一貫して、うすっぺらく、「別にアートなんかどうでもいい、面白いからやってるだけ」といった、内容の無い話に終始している。

意図して、わざとしらんぷりをしている可能性もあるが、俺は、この卯城君自身は、カラスのことは本当にどうでもよく、(カラスだけでなく、ほかのこともどうでもよく) 実際に作品の企画をしているのは、他の構成メンバーないしはまったく別の人なのではないかと疑っている。

まあ、とにかく俺が言いたいのは「ふざけるなら、もっとまじめにふざけろ!」ということで、語る言葉の薄さにはとにかくガッカリさせられる。

この人たちの発する言葉については(実例を挙げて)もっと言いたいことがあるし、これは彼らを「肯定的にとららえられないふたつの理由」のうちのひとつでしかないので、まだ色々書きたいのだが、長くなったので続きはまたそのうち。