美術館らしくない美術館「人間美術館」その他

今日は、青山周辺を散歩。

ワタリウム美術館→スパイラル→「三菱商事アート・ゲート・プログラム」→佐藤美術館という経路だったんだけど、まず先に紹介したいのがこれ

ムンク「叫び」

神宮外苑の「いちょう祭り」会場で発見。

雪竹太郎氏によるパフォーマンス「人間美術館」というやつらしい

検索してみると、結構有名な方みたい。ふだんは井の頭公園での目撃情報が多いみたい。

Because the Living Museum of Art displays paintings as they are seen and not as they are interpreted, it’s a great democratiser, enjoyed by these children as much as (perhaps more than) chin-stroking adults with worthless certificates in art history. So confine your chin-stroking to the gallery and keep it out of the park. This is the other, uncelebrated side of art: not the dusty repository of learning but the universally recognised visual language; not the domain of the genius but the province of the eternal huckster, Taro “Taro” Yukitake.

「人間美術館」では、絵を「解釈されるもの」ではなく、「見られるもの」として展示している。これは素晴らしい(展示の)民主化である。あごをなでながら見ている意味のない美術の知識を持った大人たちと同じように (ことによると、そういった大人たち以上に) 子供達に楽しまれている。だから、あごをなでるのはギャラリーだけにして、公園では(訳注: 難しそうな顔をして展示を見るのは)やめにしよう。これは、知られざるもうひとつの美術の側面だ。研究するためのほこりをかぶった倉庫ではなく、誰にでも理解できる視覚言語であり、天才の領域ではなく、永遠の「香具師」が演じる舞台なのだ

The Living Museum of Art | TABlog | Tokyo Art Beat

Tokyo Art BeatのTABlog英語版より。(俺の英語力の限界を超えた文章で、かなり意訳になってるので注意。正直あまり自信がない (誤訳の指摘歓迎))

ちょっとほめ過ぎのような気もするけど、俺が見ていたときも、前のほうで小さな子供が歓声をあげながら見ていた。

「美術館」っていうと、すすけた昔の絵をみるところ、そこで展示している美術品は、しかめっつらして研究する対象、気取って訳知り顔で難しく論じるもの、になりがち。

確かに、「絵」として表現された根源的なもの(人間的なもの)を一番シンプルに見せるフォームを提供しているパフォーマンスなのかもしれない。

神宮外苑いちょう祭りは14日まで。人間美術館の展示日程は不明。

参考: