浅田政志「浅田家 赤々・赤ちゃん」展 スペースAKAAKA・赤々舎・清澄白河

写真集などアート関連書籍を出版している出版社「赤々舎」。その展示スペース、「スペースAKAAKA」というのが清澄にオープンしたとのこと。早速行ってきた。

……といっても、俺は特に赤々舎さんのことを良く存じ上げているというわけではなく、これはネットサーフィンしている最中に偶然発見した情報。(会場で「何を見て展示を知ったのですか」と聞かれたが、何度考えても思い出せない)

それどころか、展示している作家さんのことも良く知らず、さらに言えば、今回展示してる作品を制作した浅田政志が木村伊兵衛賞を受賞した、というのも今検索して初めて知ったくらいだ。(写真関係はさほど熱心に情報収集しているわけでは無いので……)

会場の様子は、先ほど紹介したページに写真が載っているし、さらにこちら↓でも見ることができる。

ひとつ追加で紹介するとすれば、会場にはこんな張り紙があった。

展示されているのは、作家、浅田政志自身とご両親、それにお兄さん夫婦も加わって、浅田一家総出で人生の思い出に残るいろんな瞬間(など)を再現した写真。それに、立体作品、架空のニュース映像、ドローイング作品もある。さらに奥には一般の(つまりよその)家族のポートレイトなども。

興味深いのは、浅田家が「再現」した風景はどれも「偽物」「作り物」であるが、こういった作品の制作は、恐らく、みせかけの、うわべだけの付き合いをしてる「家族」にはできないことであって、これが「本物の家族」にしか作り出すことのできない「偽物の風景」であるように見えるところだ。

ちょっと話がずれるが、今月から放送大学でやってる「芸術の理論と歴史」という授業を(偶然みつけて)見ているのだが、ちょうど今日、「アリストテレスギリシア演劇」と題して、演劇における再現・模倣について、「悲劇」のありようなどについて講義をしていたのだが、そういった話と対比して考えると面白く感じられる。

「本物の家族」が「偽物の風景」を作り出す、という行為は、(梅佳代がおじいちゃんを撮影したりするのと同様) それ自体からは、平和でほのぼの、幸せそのもの、といった印象しか受けないが、一方で、その作品を見る側、つまり世間の多くの家族の中には、不幸で悲劇的な歪んだ家庭も多くあるに違いない。

そういった「見えない不穏な影」のようなものが、見る者にある種の不自然さ、居心地の悪さを(ほんの一瞬)感じさせるような気がしてくる。そんな影の存在を示唆する光のような奥深い作品であった。

……っていうのはちょっとひねくれた見方だろうか?

5月17日(日)まで。

地図はこちら

地下鉄の駅から東京都現代美術館へ行くときに通る、深川江戸資料館のある通りからちょっと横に入ったところにある。

ちなみに全然関係ない話だが、深川江戸資料館は7月から長期休館するらしい。

深川江戸資料館は平成21年7月より施設改修工事のため休館いたします。

期間:平成21年7月1日(水)〜平成22年7月下旬<期間変更有り>

対象:小劇場、レクホール、綜合展示室

昔行ったときに俺が撮った写真。夕方の照明がきれい。

Fukagawa edo museum