村上隆の『価値』が作られる場所 - 「現代アートの舞台裏 5カ国6都市をめぐる7日間」

欧米の『アート界』の舞台裏を垣間見ることができる、面白い一冊。

著者は、大学で美術史を学び、その後ギャラリー勤務を経て*1大学院で社会学を学んで博士号を得たという社会学者、サラ・ソーントン博士。

現代アートの舞台裏 5カ国6都市をめぐる7日間

現代アートの舞台裏 5カ国6都市をめぐる7日間

日本ではさほどポピュラーな存在ではないように感じられる「ハイブロウ」な欧米の現代アートの世界。オノ・ヨーコ草間彌生杉本博司など、欧米のアート界にも有名な日本人アーティストは少なからずいるが、なかでも最もポピュラーなのは村上隆だろう。

本書でも、一章を割いて、村上隆のスタジオを訪問し、関係者にインタビューする様子を紹介しているが、その章だけにとどまらず、いうなればこの本のすべてが「村上隆の『価値』をつくりだす現場」を紹介している、という言い方もできる。

本書は、それぞれの章で、ひとつずつ「場」を紹介していく構成になっていて、全体は以下のように構成されている。

  • 1章 「The Auction」クリスティーズ・ニューヨークでのオークション (2004年11月10日)
  • 2章 「The Crit」 カリフォルニア芸術大学での「批評会」(Michael Asher教授の授業) (2004年12月)
  • 3章 「The Fair」 スイス・バーゼルで開かれるアートフェア、「Art Basel」(2006年6月)
  • 4章 「The Prize」 ターナー賞、候補者発表から選考、受賞者の発表まで (2006年12月)
  • 5章 「The Magazine」美術雑誌 ART FORUM編集部 (2007年2月)
  • 6章 「The Studio Visit」 村上隆のスタジオ、外注先の工場訪問 (2007年7月)
  • 7章 「The Bienna」 ヴェネチア・ビエンナーレ (2007年6月)

正確にいうと、イギリスの美術館、テートで受賞者が選ばれるターナー賞はイギリス在住のアーティストが対象だし、二章で紹介されている芸術大学の授業も直接的には村上隆とは関係ないので、この本の「全て」が村上隆に関係しているとはいえない。

だが六章のスタジオ訪問ではロサンゼルスの美術館「LA・MOCA」のスタッフが回顧展「(C)MURAKAMI」の準備も兼ねてギャラリスト、ブラム & ポーや著者と一緒にスタジオを訪問する様子が紹介されており、なかでも、そのスタッフの一人はUCLAで「日本のコンセプチュアルアートとプロセスアート」をテーマに博士号取得を目指して研究している最中にMOCAにスカウトされた日系人とのことで、村上隆が美術館とも深い関わりを持っていることがわかるし、大学などの教育機関でも議論や研究の対象になっていることもありうるだろう。

とかく日本では「オタク文化」との関わりで論じられがちな村上隆だが、「欧米のアート界」の様子を紹介する本書を読むと、(あたりまえのことだが) 日本とは全く異なる視点で村上隆が評価されていることがわかる。

これは物凄いお金持ちが集まる小さな『村』でのお話なのだ。

例えば、展覧会「(C)MURAKAMI」を開催し、その後財政難に陥ったロサンゼルスの美術館、LA・MOCAは億万長者の慈善家であるEli Broad氏らが救済、その額は、総計5,690万ドルになると最近報じられた。

こういったニュースで断片的に伝えられるお金持ちと美術館の密接な関係、それが本書を読むことでさらに見えてくる。

また、村上隆の作品が16億円で落札され話題になったオークション、(景気悪化の影響が心配されていたにもかかわらず) 今年、ミュージシャンとコラボした村上隆の2億円の作品が初日に、それも会場オープン20分で売れたというアートフェア、Art Baselなどはいうまでもなく、村上隆の『価値』を形作る現場そのものといえよう。

ちなみに、その16億円で落札された村上隆のMy Lonesome Cowboyだが、本書では、その買い手がウクライナの大富豪、ヴィクトル ピンチューク氏 (ヴィクター・ピンチュック / Victor Pinchuk) であることが明かされている。

で、これが落札されたのが2008年5月14日。興味深いのは、色々検索するとこんな映像がでてくるところだ。

これは2008年の5月11日に開かれた「GEISAI MUSEUM #2」で審査員をつとめた「ヴィクター・ピンチュックさん」のコメントだ。このあと村上隆と一緒にすぐにニューヨークにいったのだろう。村上隆の世界がいかに遠い世界なのかがよくわかる。(ちなみに本書に登場する作品「Oval Buddha」は2008年のArt Baselで、800万ドルで売れたらしい)

当然のことながら、本書の著者、ソーントン博士も、この世界の住人の一人だ。

このように、まさに才色兼備のソーントン博士。日常的に欧米の有力メディアにアート記事を執筆するライターでもある。

本書ではヴェネチアビエンナーレを取材に訪れた筆者が「予算が乏しいキュレーターや批評家があふれる安ホテル」にチェックインしながら、「途方もない部屋代を支払う余裕がある友人のおかげ」で、世界有数の豪華ホテル、チプリアーニのプールで水泳を楽しむ様子が紹介されている。単なるライターではなく、もはや「インサイダー」である。

そんな本書をこんな風に評している記事もある。

She is indulged by the art world's great and good, but when it comes to really spilling the beans, she is ignored.

彼女はアート界の素晴らしい人々に楽しませてもらっているが、話が本当に内緒の秘密話になるところでは (spill the beans) 相手にされていないのだ

Review: Seven Days in the Art World by Sarah Thornton - Telegraph

だが、俺は、これはちょっと違うと思う。「金儲けのために作品を作ってる」とか、「自分の名声のために雑誌に批評を書いている」だの「金持ちであることを自慢するため高い美術品を買っている」などと言う人がいるはずない。

「思っていても言わないこと」というのがあるのかどうか。本書に「書かれていないこと」はなんなのか。そんなことを考えながら読むと、人間社会(の特殊な一面)を理解する助けになる、ような気がしてくる、そんな楽しい一冊であった。

*1:「I studied art history as an undergraduate and worked in a gallery before I went on to do my PhD」Dazed Digital | Seven Days in the Art World