国立歴史民俗博物館でムラビトの文化を学ぶ

昨日は、千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館に行ってきた。

首都高のって猛スピードで行こうと思ったら湾岸市川から湾岸習志野まで事故渋滞だっていうんで普通に湾岸道路を走って行った。幕張メッセで車関係の催しをやっていたせいで、湾岸習志野付近が混雑していたのも渋滞の一因かもしれない。(出口から357に、ものすごい数の車が出てきてたし)

国立歴史民俗博物館はすばらしい博物館だった。ジオラマ模型に上手に現代の建物の模型を取り入れることで歴史の連続性をうまく表現している。(例えばこの「箸墓古墳墳丘模型」など → http://www.rekihaku.ac.jp/zyoosetu/no1/pict31.html)

結局、現代の「最新テクノロジー」は、100年後、間違いなく「100年前のテクノロジー」になってしまうという、時間の流れから逃れられるものは何もない、という真理がよく伝わってくる。

後半の、地域の村社会文化のコーナーは非常に興味深かった。

Village-bounderies

よく言われる「モヒカン族対ムラビト」の対立の構図って、どっちが村人かわからんよなー、1994年ぐらいまでは、居心地のいい「モヒカン族ムラ社会」がネット上にあったわけだし。

あと、よそ者を排除する村社会とか、先祖に対する崇拝とか、村に伝わる文化とかっていうのは、結局、農村の人々が生きていくための、サスティナビリティーというか、ゴーイング・コンサーンというか、先祖代々から蓄積してきた「継続的に事業(農業)を運営していくノウハウ」を守るシステムなんじゃないか、って感じがした。

それが、大正、昭和、戦後と、東京などの都市部にある「企業システム」に人が移ってきて農村が衰退するっていう流れなんだろうけど。

IT業界では何代にも渡って生活を保障できるような堅固な事業モデルを構築することは不可能だろうか?

帰りにミュージアムショップで買った博物館の雑誌「歴博」も面白い。

平安時代の貴族達は政務運営や儀式の先例を記録するため詳細な日記を残した。
そうした先例を調べる工夫として「首書」「目録」「部類記」などの検索システムが考案された

歴博131号、特集「日記と歴史学

http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no131/

ちょっと読んでみた感じだと、平安時代の日記も、MovableTypeも、案外似たようなもんだなって感じがした。

日本陸軍は、兵士達に日記を付けさせることを有効な教育手段とみなしていた。
入隊してきた青年達に日記帳を与えて日々の訓練内容や感じたことを記録させる。

歴博131号 「ある少年戦車兵の訓練日記」

単なる日報というより、思想教育の側面が大きいような感じ。ブログ文化も、こういうのの延長線上に位置づけられるんだろうなきっと。