須田国太郎展・東京国立近代美術館

今日は、親戚の叔父さんのお見舞いに順天堂大学病院に行ってきた。早く元気になってほしい。その後、近くまで来たついでといったら変だけど、竹橋の東京国立近代美術館で「須田国太郎展」を見る。

須田国太郎はもともと京都大学の哲学科で美術史を勉強した人で、その後デッサンとかを専門的に勉強し、初めて個展を開いたのが41才の時で、その個展にはお客が全然来なくてかなりガッカリしたらしいという大器晩成型? の画家。

チラシやポスターに使われている作品「犬」が陰鬱な感じだったので、別に見に来なくてもいいかな、と思っていたんだけど、実際に作品を見てみると、全く陰鬱な印象は受けなかった。

犬だけじゃなくて、豹とか鵜とか、動物を描いた作品がとてもカッコよい。最新のデザイナーズマンションみたいなとこに複製画をかけたらかっこいいんじゃないか、て感じの落ち着いた色づかいと、不思議な感じの存在感が良い。(ウェブサイトにでてる画像は実物の質感が全く伝わってこないので参考にならない)

展示の解説を読むと、西洋画の技法の研究、プラス「東洋的なもの」の探求の結果が作品になった、日本風洋画って感じもするけど、ずっと見ていると、なにかもっと抽象的というか、哲学的な感じが伝わってくる。描かれているモノは、物質的な存在というより、むしろ、光と影がゆらゆらーっとさまよっているだけの存在なんだよー、(光と影以外の何物でもないんだよー) っていう、「思想」というか、解釈というか、世界観を描こうとしたんじゃないだろうか。

そう考えると、作品「犬」に「影」として描かれている透明な犬は、とても印象深く感じられる。動物だけじゃなくて、ヨーロッパの町並みとか、「法観寺塔婆」のような人工物だって光と影で作られた「形」にすぎないし、人間の存在だって、実は光の反射と影だけからできてる空疎な存在に過ぎないのかも、とかいうことを考えてしまった。