アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真がFlickrのDeleteMe!グループから削除される

アンリ・カルティエ・ブレッソンといえば、去年、東京国立近代美術館の「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌展」を見に行ったのだが、その時は、何も言葉が浮かんでこず、ブログにはなにも書かなかった。

今改めて、いろんな方のブログでの言及を拝見してみたところ、こんなふうに書いてらっしゃる方がいた。

1930年代の作品の新しさはまるで古びた印象がなく、我々アマチュア写真家はカルティエブレッソンエピゴーネンにもなりえていないという事実に驚愕する。笑われるのを覚悟で正直に言うと、僕は自分の撮る写真はカルティエブレッソンの追求した方向と似ているのかもしれないと思い……(中略) ただ、方向は同じでも、我々素人はカルティエブレッソンら一流が作った流れのなかで遊ばせていただいているだけなのだ。

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なるほど確かに、古い写真、昔の風景なのに、古びた感じがしない。とても「身近な感じ」がした、ということは言える。

身近な感じ、というのは微妙な表現だけど、率直に言って、構図はうまいとは思ったけれど (同じ場所にいても、こんなふうに撮影するのは(素人の俺にとって)難しいだろう、とは思ったけれど)、じゃあ「超人的に凄い」かというと、うーんどうだろう? といった感じ。

この辺の感じ方は、実は世界共通だったりするのではないだろうか。「わかってる人ほど高く評価する」みたいな。

で、話変わって、Flickrの話なんだけど。

よくFlickrの写真を見ていると、タグの欄に "deleteme" といったタグがたくさん付いている写真があって、これなんだろう、と、ずっと思っていたんだけど、今回ちょっと調べてみたところ、これは一種の「ゲーム」の痕跡であることがわかった。

これは、 DeleteMe! というグループで行われている「ゲーム」

まず、このグループの"pool"に写真を登録する。(正確に言うと、写真を登録する前に最低15回投票しないといけない、とか、色々ルールがあるらしい)

で、グループのメンバーがその写真をみて、こりゃダメだとおもったらdeletemeタグ、いいじゃん、と思ったら savemeタグをつけていく。

どちらかのタグが10個集まったら終了。deletemeが先に10個付いたら削除されてしまうが、savemeが10個付いたら、 The Safeグループに保存することができる、ということらしい。

例えばこんな↓写真が登録されたらしいんだけど、これはdeleteされてしまった。

Stairway on Flickr - Photo Sharing!

理由は "sphincteresque" (括約筋的?) "too small sized" (画像が小さすぎる(サイズが604px x 404px)) "whats with the red" (この赤は何?) "soft and mushy" (mushy = 柔らか・感傷的) "Where's the focus?" (ピンボケ) ……といった感じ。

Oh Tomorrow I’m Alone ... on Flickr - Photo Sharing!

これもdeletemeが10個集まって削除されてしまった。

"misty tree photo" (不明瞭) "dark edges" (ふちが暗い / 四隅のことだろうか?) "single tree cliche. How special" (ありきたり) "too much empty space" (余白が多すぎる) "if it had more vignetting." (四隅がもっと暗ければ、という意味?) "weird in color tones" (色が変)

これらのコメントをみていくと、ひょっとしたら、このDeleteMe!グループを嫌っている人もいるかもしれないなあ、という気がしてくるのだが、(なんか適当なこと言って偉そうな感じなので)

二、三日前、redditを見ていたら この DeleteMe!グループに面白い写真が投稿された、という話をみつけた。

投稿されたのはこの写真、

Mario's Bike on Flickr - Photo Sharing!

で、これがアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真なんだけど、投稿した人は誰の写真か隠して (というか、投稿した人が撮ったかのように) DeleteMe!グループに登録したらしい。

で、案の定、deletemeタグが10個集まって削除されてしまった。(この事件が起こったのは二年ぐらい前のことらしい。俺がredditで見たのがついこないだ、という話)

deletemeタグを付けた人いわく、

When everything is blurred you cannot convey the motion of the bicyclist. On the other hand, if the bicyclist is not the subject-- what was?

voted as "deleteme" (from the Delete me! group)

全てがピンボケだと自転車に乗っている人の動きを表現できない。もし自転車に乗ってる人が主題でないなら、なにを撮った写真なの?

hard to tell at this size but is everything meant to be moving in this shot, all seems blurred

サイズが小さすぎてよくわからないが、全てが動いているようで全体が不鮮明。

voted as "deleteme2"

to better show a sense of movement SOMETHING has to be in sharp focus

動きを表現するにはどこかがシャープになっていなければならない


"grey, blurry, small, odd crop" (odd crop=構図が変?) とかいうのもあった。もちろん有名な写真家の作品なので、それを知っていてsavemeの投票をしたような人もいるみたい。

で、削除されてから誰の写真か、公開したのかな。そのあとのコメント欄がとても面白い。

LOL
this is the day deleteme has entered the history of photography as the worst (not in terms of being mean, but in terms of being mis-informed, mis-educated, un-cultured, and all other things that can be summarized by the word STUPID) critics this art form has ever seen. you guys have just proved that all your votes aren't worth the least of all considerations.

DeleteMe!グループは「最低」だ、と、写真の歴史に名を残すことになったね。意地悪言うつもりはないけど、誤った教育を受け、間違った知識で、非文化的で、その他諸々、ひとくちでいうと stupid な、この写真表現の世界で過去最低の批評だ。(deletemeに投票した人は)この投票が考慮に値しないことを証明した。(ちょっと意訳)

といった、DeleteMe!グループに対する批判、

"RIP Henri next time use a tripod bahahahhaaa" (アンリ、安らかに眠れ。今度は三脚を使って撮ろう)

などのジョーク。

「ぼやけてる、とか、どうでもいいことにとらわれている」

「なにが表現されているか見ずに、どう表現されているか(ぼやけてるとか)しか見ていない」

といったDeleteMe!の批評への批判。

ブレッソンが最新の機材で写真を撮れば全然違う写真になったはず」

「あなたにとってはmasterpieceでも、私はそうは思わない」

……などの反論。

「これはブレッソンが階段を下りている最中に偶然シャッターをきってしまった写真。本人もdeletemeに投票しただろう」という話もある。(本当だろうか?)

一方で、こういうことを言う人もいる。

ブレッソンらによる "snapshot aesthetic" は当時も批判された。junkだ、ファジーだ、構図が悪いなどなど。60年後も同じように批判され、理解できない前衛であり続けているのは驚きだ」(リンク)

とか

I was at an exhibition of HCB's Early Works in Singapore, and incidentally stood before one of his photos and thought to myself: I wonder what the online critics would say about this (not having Flickr in mind, but rather, a community of photographers on another forum). "Blurry? No subject of interest? Where's the focus?"

シンガポールブレッソンの展覧会を見にいったとき、ふと、「(この写真は)ネットではどう批評されるんだろう」と考えたことがあります。「ぼやけている」とか「主題がわからない」「どこにピントがあってるの?」(なんて言われるんだろうなあ、と思った)

http://www.flickr.com/photos/andrerabelo/70458366/page2/#comment72157594181501774

こういうのを見ると、素人でも何でも、感じたことを(否定的な意見であっても)発表するのは大事だよなあ、という気がしてくる。他にも面白いコメントがたくさんあって読みきれない。

俺がこのグループのメンバーだったら、どうしただろう。たぶん、deletemeの投票は誰の写真に対してもせずに、気に入った写真にsavemeだけ付ける、って行動パターンになると思うけど、savemeの投票はしただろうか、この写真に。

いずれにしても、ある表現が社会でポピュラーな存在であって、その表現が洗練されていくためには、その表現の受け手の批評が必要で、それも、的外れだと思われるような批評を、こうやって指摘(メタ批評?)しあえるぐらいの、大勢の発言者が集まらないと話にならないって感じがする。

日本では、オタクカルチャーには大勢人が集まっているような印象がある。(たまに、テレビアニメなどに対する非常に辛辣な批評を見かけたりするし) けど、それ以外の表現って、表現者も受け手も、内にこもっていて、ここまでの活発な議論はあまり見ないような気がする。どうだろうか。挨拶するみたいに、ほめるだけに終始してるようなのはまだまだ世界がせまいんだろうな。