教えて君問題と無断リンク問題から見えてくる「ネットに欠けているもの」とは

考えがまとまってから書こうと思っていたら、まとまる前に忘れてしまいそうになってきたので、とりあえず、今考えていることをまとめておくことにした。

ネットの世界でのコミュニケーションには、ある種の情報が欠落していて、さらに「プロトコル」つまり、やりとりするときの手順が不足しているので、不必要な衝突が起こってるのではないか、

という話。

欠落している情報とはなにか - 「教えて君」問題で考えてみる

教えて君問題というのは、ひとくちでいうと、ネットの掲示板などで安易に(つまり、事前に自分で調べる「努力」をせずに)質問だけを投げかけ、簡単に答えだけを得ようとする人(教えて君)と、そのような人を好まない人たちによる、衝突のことである。

この問題の原因は、教えて君の態度にあるのではない。教えて君は「場違い」なところで場違いな質問をしてしまっただけなのだ。

教えて君には重要な情報、つまり、そこが「自助努力の無い人お断り」だとか「ギブ・アンド・テイクで互助的な情報交換をする気がある人専用」の場所である、という情報が伝わらなかった。

また、教えて君に憤慨している人の側にも、伝わっていない情報があるように感じられる。

「なぜ」事前に調べず安易に答えだけを求めるのか。

これは、ふたつの可能性がある。ひとつは、急いでいる場合。本来だったら色々自分で調べるべきだというのはわかってるんだけど、何らかの理由で時間が無い場合。

もうひとつは、そもそも調べる気がない場合。

最近電車に乗っていて考えるのは、ある人の思想・行動パターンは、その人の服装や髪型、靴などに現れるのではないか、ということだ。こういう話は一休さんみたいな話で安易に書くべきではないかもしれないが、電車で見かける人のうち、何割かの人は見てると「この人ネットでは教えて君になりそうだな」って気がしてくる。さらにそういう人に「色々言っても無駄だろうな」とも思えてくる。

例えば、同じ人でも、ジャージを着て、つっかけはいて、ぼさぼさ頭の時と、きちんとスーツを着ているときとでは振舞い方も違ってきたりすると思う。

ネットではそういう振る舞いの違いを演出しにくいし、場の雰囲気も一目でわかりにくくなっているのではないか。(アマゾンのレビュー欄はどういう雰囲気の場だろうか)

以上は、id:essaさんのエントリーで知った「ネタ度」「ベタ度」の話 (http://d.hatena.ne.jp/essa/20060330/p2) を拝見して考えたこと。

「リンク」とはなんなのか - 無断リンク問題で論じられるリンクとは

ここで話は変わるが、無断リンク禁止派に対するモヒカン族による様々な言説の中で、あまり見かけないような気がするのが(気のせいかもしれないが) 「リンク」という言葉の原義の話だ。

リンクっていうのは、本来、一般名詞として意味するのは、「連結すること」「関連すること」であり、英語で言うならrelationship, connection between people or things (The Concise Oxford Dictionary)である。Macの辞書では

a relationship between two things or situations, especially where one thing affects the other (例: investigating a link between pollution and forest decline)

ふたつのものや状況の間の関連、特に片方がもう片方に影響している場合(例: 森林の減少と汚染との間の「関連」を調べる)

とあり、これがリンクの「第一義的な意味」である。

一般の人がリンクという言葉から連想するのは二つのものの結びつきであり、さらに、そのふたつのものの間には関係がある、というものであって、そもそもリンクには「片方向」とか「双方向」といった区別はない。

ここで、ネット上での狭義の「リンク」は、一般的な広義の「リンク」とは意味が違うんだ、という認識があるのが「技術指向のモヒカン族」である、という解釈がなされるような気がする。(と思うのですがどうでしょう)

が、俺はむしろ、アンカータグのつくりがへっぽこなだけであり、それをリンクと呼ぶこと自体が誤解を招いているような気がする。

プロトコル不在とはどういうことか - 無断リンク問題を例に考える

それはまあいいのだが、要するに、ここで「足りないプロトコル」というのは、たとえば、まず、

「(狭義の)リンクを張りますよ、というか勝手に張りましたよ」という状態 (今のアンカータグが書かれた状態)

になった後、張られたほうがなんらかのアクションを起こすことで

張られたほうが「結びつくことを認めますよ」と、承認した状態

または

張られたほうは「勝手にリンクを張られましたが、こちらは特に認めていませんよ」と認めない (この場合は、「リンク」ではなく、一方的に指し示しているだけの状態ということ)

の、どちらかの状態であることを、リンクをはったほうのページに表示する、(逆トラックバック的に、はられたほうがはったほうのページに情報を付加する) というやりとり(手順・プロトコル)を実装できれば無断リンク問題の多くは解決するのではないだろうか? ということ。

んで当然、呼称として「リンク」と呼ぶのは、双方が承認している状態の場合のみで、現在のアンカータグが張ってあるだけの状態はリンクとは呼ばないことにする。

さらに、リンクにまつわる問題としては、張られたほうが「不愉快である」「こっちのほうを指し示さないで欲しい」と積極的に不満を示すケースや、また、現在「相互リンク」と呼んでいる状態を、片方が解除するときに「いつのまにか相互リンクが勝手に断り無く消されていた」と不満を示すケースなどがある。

こういうのも手順を標準化して機械化した仕様に仕立てることで、トラブルを軽減できないだろうか。

さらに受信側が承認するまでトラックバックを公開しないことで「トラックバックスパム」を防いだり、送信側が、送ったトラックバックを取り消すことで「トラックバックを二重・三重に送ってしまったごめんなさい」状態を防ぐ仕様拡張と統合することで、「リンク」の概念を整理することはできないだろうか。

というのを、id:rnaさんの、「バトル・トラックバック」の提案 (http://d.hatena.ne.jp/rna/20060402/p1) を拝見して考えた。どうだろう?