カルティエ展は「理念を知らなくても問題ない一般大衆向きなテーマを扱った現代アート」

……ちょっと小難しくなりますが、社会学的にコンテンポラリーアートを定義づけた Nathalie Heinich さんの文章を借りれば、それは以下のようになります。
(うまく訳せなくてごめんなさい。)
〈造形芸術における現代アートのゲームは3つのパートナーによって行われる。アーティストによるアートの境界線違反、一般鑑賞者の否定的リアクション、そして専門家による統一、この3つがより挑発的な提案、より暴力的な拒否、そして絶えずより唖然とする常態化を生成させる〉

(中略)…… インテリのお遊びということではないんです。過去の美術遺産やさまざまな理念をしらなくても別に問題ではないのでしょう。石原知事が好きなDADAとは違うんですよ。だから石原知事はインテリのムーヴメントの線上にあるアートはお好きだけども、一般大衆向きなテーマを扱った現代アートはお好きではないのかもしれない。

http://blog.mag2.com/m/log/0000191817/107269642?page=1#107269642

この、今回の展覧会の内容が「理念を知らなくても問題ない一般大衆向きなテーマを扱った現代アート」だ、とする説は、「貴族などの特権階級には学習のオブリージュがあって、学習しないで芸術の価値を味わいたいなんてのはワガママだ」っていう今回の展覧会に対するわけのわからない解説とは対立しているように見えますね。

(俺は都知事は一般鑑賞者の立場でものを言っただけで、それが立場的に不適切だというならそれはもっともだと思うけど、一方、一般鑑賞者としての都知事が否定的リアクションしたからって文句を言われるすじあいも、逆にないようなきがするんだけど。)

しかし、「文章を借りてくる」なら出典を示して欲しかった。訳せないなら自分の言葉でリフレーズしたっていいと思うんだけど、「専門家による統一」ってとこの意味がよくわからないなあ……。

あとのほうを読むと、「作家と鑑賞者のコラボ」による解釈を専門家が助けるってな意味なのかなあっていうきもするけど。

この「Nathalie Heinich」さんって、いったいどんなひとなんだろう、と思ってちょっと調べてみたけど、よくわからなかった。名前は日本語では「ナタリー・エニック」。「ゴッホはなぜゴッホになったか」って本が邦訳で出ているみたい。

ゴッホはなぜゴッホになったか―芸術の社会学的考察

ゴッホはなぜゴッホになったか―芸術の社会学的考察

これ物凄く面白そうな本だなー。……けど高い。

ゴッホの生涯そのものが社会の無理解というモチーフの上に築き上げられた聖人伝説に変貌し、その後さらに画家は聖なる犠牲者、「偉大なる単独者」として賛美の対象となって今日に至っている。

ゴッホはなぜゴッホになったか - ゴッホへの大いなる弔い【藤原書店PR誌『機』2005年3月号より】

藤田嗣治と似ているような似てないような。。

追記:
このメルマガほんと面っ白いなー。ブログでやってほしい。

Sacres francais! <映画と美術とパリジャンと>

さらに追記:

「年齢や知識を問わずに『誰が見ても楽しめる』ことを基本に作品を選定」「誰しもが必ず魅惑される"“驚きをたたえた作品”に出会えることが本展最大の魅力」

カルティエが誘う、現代アート。:Exciteエキサイトイズム

最終的にそれは、芸術はより多くの人が楽しいものであるべきだという一見とても正当な主張へと向かうのだろう。しかし、芸術の目的が「美しい」ものや、多くの人が楽しめるものを生産することでしか無い世界は僕にとっては絶望的な世界だ。

http://d.hatena.ne.jp/kasuho/20060502/p1

絶望したきゃ、勝手にしてればいいと思うけど、今回の展覧会を「理解」して書いた文章にはとても見えないなあ。