ジャコメッティ展・神奈川県立近代美術館 葉山館

神奈川県立近代美術館・葉山館で開催中のアルベルト・ジャコメッティ展に行ってきた。

芸術新潮7月号のジャコメッティ特集を見て、こりゃ面白そうだ、と思って早速行って見てきたのだ。

神奈川県立近代美術館・葉山館は、葉山の御用邸の近くにある、企画展示室と図書室だけのこじんまりした美術館。

今回の展覧会では、ジャコメッティの絵画と彫刻、さらに作品のモデルになった、哲学者の矢内原伊作氏関連の作品、資料などが展示されている。

ジャコメッティの彫刻は、初期の頃の作品は、「ふつう」のキュビズム風彫刻なんだけど。それが時がたつにつれ、超細長ーくて薄っぺらい人物彫刻になっていく。

絵画も、最初の頃は、ふつうの色使いの絵なんだけど、それが年月を経ると、3DのCGのワイヤーフレームみたいな線がぐるぐる巡ってる人物像になっていって、色も、なんかダークな土気色の彩色が施された、くらーい絵画になっていく。

みていると、なんだか具合でも悪くなっちゃったのかしら、という感じの絵画・彫刻に見える。

もちろん、人物の厚みが省略されて薄くなってしまい、さらに、肌の滑らかな曲線がデコボコの錆びた金属のようになってしまって、そんな金属の棒切れが空気の隙間に突っ立っていて、それでもそれは「人物像」なのである、といった感じの、なにか哲学的な思考が結晶しているのかもしれないのだけど。

それでもやっぱり、これらの作品には、ジャコメッティのダークな悩みが現れているのではないだろうか? という疑問が消えなかった。

帰ってから改めて芸術新潮を読み返してみると、モデルを観察して制作した「他人」の作品であっても、自分との関わりがベースになってつくられている、ある種の自分の像のようなものなんじゃないかな、と、いった、ニュアンスの話が書いてあるけど。(かなり意訳)

なんか納得できる話のような気がする。人に対する執着が、なんか、ストレートに自分に対する関心とつながってるような感じ、そんな印象は確かに感じたような気がする。

パソコンで表示される人物像って、液晶を透過した光で表現されているわけだから、「厚さゼロ」で、拡大すればRGBの四角い光点が積み木のように集まったものでしかない。

そんな「薄っぺら」で「デコボコ」なものを見て、これは自分の写真、これは人の写真、と区別をしているわけだけど。

それを金属の塊で表現するとこうなるのかなと。これを自分の実在というか、自分の存在と結び付けて考えて表現するってのは、面白い発想だなと。って、実際ホントにそうなのかどうか、よくわからないけど。

なかなか面白い展覧会でした。7月30日まで。

神奈川県立近代美術館 開催中の展覧会 20世紀美術の探求者アルベルト・ジャコメッティ-矢内原伊作とともに