非モテ諸君、美しくなろう、魔法を身につけよう

千と千尋の神隠しは、就職して二、三年目ぐらいの女の子が共感できる話になっていて、自分の子供時代 = リアル(自分にとっての「本当の」世界)、卒業後の仕事生活(社会全体) = 売春宿(油屋)であり、仕事をするというのは売春宿の元締めに名前(本当の自分)を奪われて身も心もささげることなのだ、という、(さらにいえば、両親は人のものを勝手に食ってるような『豚』であったのかという気づきも含めて) そういった世界観を描いた映画だというのが俺の解釈なんだが。

ハウルの動く城も、現代日本の描写であって、彼氏はなんだかよくわからない理由でA国とB国の戦争に参戦していて、毎日くたくたになって、汚い家に帰ってくる。「ア゛ーッ疲れた。風呂風呂」ってな貧乏リーマンライフを送っていると。それが実は魔法使いの王子様(声: キムタク)で、よくみると凄い美形だというファンタジー

一方「体は若いが心は老女」という「魔法」(自己暗示・防衛機制)で老化への恐怖をごまかしている(ついでにつまらない日常もごまかしている)フツーの女の子が、ひょんなきっかけで、そんな男の家に上がりこみ。汚い部屋に驚愕して甲斐甲斐しく世話を焼くというチープな恋愛っぽい構図。

「動く城」は、実家を出て一人暮らしをしている都市若年層の「家」に対する観念を映像化したものだろうか。農耕民族のDNAが組み込まれているはずなのに一箇所に定住できない現代の若者のさが(悩み)に対し、「動く城なんか無くったっていいんだ、愛があれば」と、「愛」に依拠した家族制度を提案しているのだろうか。

そう考えると、カカシ君は「結婚前のつまみぐい」であって、ちびっこの「星の王子様君」(名前忘れた)とかカルシファーっていうのは、二人の希望、つまり子供を象徴してるんだろうなー。(さらに荒野の魔女が何を象徴してるかって言うと……あぁ、考えたくない、これは要介護の姑か)

男性諸君、美を追求しよう、鏡を見よう、魔法を身につけようという、鈴木Pの少子化対策的、非モテ君へのメッセージを感じてしまうのは俺だけだろうか。(俺だけなんだろうな) とても面白い映画でした。