現代アートの市場規模とその拡大について

今年のワールドカップサッカーで優勝したイタリアの果物消費量は、一人当たり年間131キログラムなのだそうだ。(アメリカも100キログラムを超えているようだ)

一方、日本は、一人当たり年間55キログラムしか果物を消費していないらしい。(国連食糧農業機関調べ・8月20日日経新聞別冊日曜版「THE NIKKEI MAGAZINE」より)

この調査から、「日本人の果物消費は将来倍になってもおかしくない」ということがいえるだろうか。いえるかもしれない。「イタリアの果物消費が将来半分になってもイタリア人の健康が損なわれる危険はない」ということもいえるかもしれない。

ここまではいいのだが、この調査を引いて「日本人の果物消費を倍にするにはどうしたらよいか」と言ったらおかしいだろう。

果物屋や、果物を生産している農家の人がいうのならわかる。しかし、消費しているほうは、こちらの気分で食べたい分だけ食べているのに「イタリアの半分だから」とかいう理由で果物を倍売りつける作戦をやられても困惑するだけではないだろうか。

一方で国内に眼を転じると、取引市場そのものが存在していない状況です。例えば、国内のアートオークション企業シェアトップのシンワアートオークションが公開しているカレンダーを見てみると、半期の間に15回開催されるオークションのうち、たった1回だけがコンテンポラリーアートという有様

http://rblog-biz.japan.cnet.com/takahito/2006/08/post_b8d2.html

現代アートのマーケット」と言ったとき、それが「オークション市場」のことだと思う人がどれくらいいるのだろうか、という気がするが。

それはまだいいのだが、さらに、現代アートのマーケットが「非常に小さく」それが今後「立ち上がるか」「立ち上がらないか」(これはどちらも「現在立ち上がってないもの」に対する言い方である) という話をする論拠が「外国よりも市場が小さそうだ」から、というのには、外国人がたくさん食ってるからという理由で果物を無理やりたくさん食わせようとするのと同様の滑稽さが感じられる。

例えば、ここで述べられているシンワアートオークションで五月におこなわれたコンテンポラリーアートのオークションだが、落札結果を、このページで見ることができる

これだけだと、何が売れたのかわからないので、手元のカタログとつき合せてみる。

LOTナンバー6の、270万は、松井冬子これ(のもとの絵)だ。大きさ131cm x 50cm

9番の1500万は、奈良美智の93年の絵で、1m x 1m

15番の46万が森山大道の写真。90cm x 60cm。

16番の180万が杉本博司の写真で51cm x 65cm。

ちなみに27番の1億5500万はアンディ・ウォーホルミッキーマウスの作品。予想落札価格は1.8億から2.2億だったので、2千万ちょっと「予想価格より安かった」といえるだろう。

ここで、俺が考えるのは以下の三点だ。

まず、マーケットの話。

シンワアートオークションで現代アート専門のオークションが開かれないのは需要がないからだろう。

(ただ、普段やってる「近代美術オークション」のカタログでも、時々現代アート作品がでていたと思う。確か太郎千恵蔵とかを見たような記憶があるが。)

太郎千恵蔵といえば、何年か前、オペラシティで、個人のプライベートなアートコレクションの展覧会をやっていて、そこにびっくりするほど大きな太郎千恵蔵の絵が展示されていたことがある。

それを見て思ったのは「こんな馬鹿でかい絵、どこにかけておくんだろう」ということだった。120平米ぐらいのマンションじゃあ、かけるところがないだろうなあ、というくらいでかい絵だった。(それが確か、二枚ぐらい展示されていたはず)

高くてでかいんだから、マーケットが限られるのは当然だ。

外国と比較するなら、社会構造全体の話を論じなければならないのは(少なくとも俺にとっては)自明のことだ。(例えば格差や不動産の話)

もうひとつ思うのは、「フォロワー」の話だ。

市場価格が急激に上昇する局面で必ず現れるのは「後追い」で参加してきて、意味もわからず高い金を払って「高値掴み」をする素人参加者だ。

そういう素人は「市場を荒らしている」といわれて、「市場が急激に拡大」することは必ずしも良いことではない。(例を挙げるまでもない話)

もうひとつ思うのは、金の話だ。

例えば、いまここで、ある東証一部上場の消費者金融の株を買ったとする。それが、例えば一株6100円ぐらいだったとする。

その株を持ってると、年に一株あたり、230円配当金がもらえたりすると仮定する。

これは3.7%ぐらいになるので、大雑把に言って、一億円分株を持っていると、配当金は370万円だ。

この370万はどこから出てきた金だろうか。配当を払う代わりに、お金のない困ってる人が支払う金利を下げてあげないのはなぜだろうか。

日本は戦後の「悪平等」の反動で、(中国と似たような)拝金主義になっているところがあるのだと思う。

お金に色はないが、お金がある一点に集まるとき、それが「まっとうな金」なのかどうかはわからない。(まっとうな、正当な金かもしれないし、そうでないかもしれない)

そういうお金の「汚い」側面に思いが至らずに富裕層がどうのこうの、と浮ついた話ばかりを展開している人のことを「うさんくさい」というのである。

現代アートのマーケット規模」を見積もるときに、ジャスダック上場の某企業の売り上げを算入するべきだろうか。今見ると、2006年3月期の売り上げが100億円で、そのうち70%がアート関連だとヤフーには書いてある。

私は、面識の無い人を捕まえて「本質的な思考をするよう戒めたい」などと、不躾なことを言うのは失礼以外の何物でもないと思うが、もし、そういう発言をしそうになったら、「人のふり見てわがふりなおせ」ということなのではないだろうか。