よい芸術とは

俺、別に、ポール・グレアムの大ファンってわけじゃあないんだけど。

(以前、某所で彼のご自慢のシステムをゴニョったときのガッカリ感が微妙にトラウマになって、以来、眉毛にツバつけて彼の文章を読むようになってしまったってのもあるかも)

日英併記になってるので、ついつい読み比べてしまったので、何点か。

らいおんの隠れ家 - ポール・グレアム「よい芸術とは」より

この難問の鍵は、芸術には鑑賞者がいると気づくことだ。芸術には鑑賞者の興味を惹くという目的がある。
芸術は(物がなんであれ)、特によく鑑賞者の興味を惹く。「興味を惹く」が変わることはある。衝撃を与えるための芸術や、楽しませるための芸術がある。あるものはあなたを別の世界に誘い、あるものはそっと記憶に残る。しかし、すべての芸術は鑑賞者に影響を与えなければならず 、そしてこりが重要なのだが、鑑賞者は印象を一般社会と共有する。

I think the key to this puzzle is to remember that art has an audience. Art has a purpose, which is to interest its audience. Good art (like good anything) is art that achieves its purpose particularly well. The meaning of "interest" can vary. Some works of art are meant to shock, and others to please; some are meant to jump out at you, and others to sit quietly in the background. But all art has to work on an audience, and―here's the critical point―members of the audience share things in common.

ちょっと違う感じで訳してみる。

芸術には目的がある。鑑賞者の関心をひくという目的だ。よい芸術とは、(ほかのよいもの同様)特によくその目的を達成するものをいう。「関心をひく」やりかたは色々だ。あるものはショックをもたらし、あるものは喜びをもたらす。あるものはあなたに正面からぶつかってくるし、あるものは、静かに存在するだけだ。しかし全ての芸術は鑑賞者に働きかけねばならず、そしてここが重要なのだが、鑑賞者達がそれらを自由に鑑賞し、考えを共有するようになっている。

「考えを共有できなければいけない」って訳したくなるがどうなんだろ。 「ものが何であれ」の前後の訳し方を変えて、「ほかのよいもの同様」としてみた。なんでも「よい」といわれるものは全てそうだけど、って感じでは。

大多数の人々は芸術を判断するときに、これらの隠れた要因に左右される。それはりんごの味を、りんごと同量のハラペーニョが入っている料理で判断しようとするようなものだ。ハラペーニョの味がするだけだろう。したがって、鑑賞力を持っている人々を選び、彼らは他の人より鑑賞力を持っていると言うことができるとわかる。彼らは実際、芸術をりんごのように味わう人たちだ。

Most people's judgement of art is dominated by these extraneous factors; they're like someone trying to judge the taste of apples in a dish made of equal parts apples and jalapeno peppers. All they're tasting is the peppers. So it turns out you can pick out some people and say that they have better taste than others: they're the ones who actually taste art like apples.

……これらの余分な要因に左右される。それは、りんごとハラペーニョが半分ずつ入った料理でりんごの味を判定するのに似ている。ハラペーニョの味をりんごの味だと思ってしまうのだ。これは、裏返していうと、世の中には鑑賞力のある人たちもいるということだ。つまり、りんごの味だけを味わうように芸術を鑑賞できる人たちのことだ。

ほとんど同じ。

もっと散文的に言うなら、彼らは (a)騙しにくく (b)成長したときの経験に依存しない 人々だ。判断するときに、こういった影響をすべて排除する人々を見れば、たぶん彼らの間でも、なお好きなものに幅があることがわかるだろう。

Or to put it more prosaically, they're the people who (a) are hard to trick, and (b) don't just like whatever they grew up with. If you could find people who'd eliminated all such influences on their judgement, you'd probably still see variation in what they liked.

彼らは (a)騙しにくく (b)子供の頃から見て慣れ親しんで育ったからという理由だけで好き嫌いを判断しない人たちである。

ぐらいか。(b)のとろこを違った感じで訳してみた。

んで、このあとがおかしいね。原文が。

「白いキャンバスよりシスティナ礼拝堂の天井画を好むだろう」

だから何? 白いキャンバスよりシスティーナ礼拝堂の天井画のほうが「よい芸術」だってこと?

「よい・わるい」とは何か。ってのは、俺が展覧会とか行って色々考える大きなテーマのひとつだけど、ちょっとこの論考は一面的に過ぎるような気がする。

この文章でポール・グレアムが述べていることは、要約すると、

  • 芸術には「鑑賞者の関心をひく」という目的がある
  • 人類すべてが普遍的に「よい」と感じる芸術がある
  • それは、人の顔や、原色など、全ての人が共通して関心を持つ対象が存在しているのと同じようなもの
  • 芸術には、鑑賞者をだますトリックが仕掛けられている
  • 鑑賞者は他人がよいというものをよいと感じる傾向がある
  • 真の芸術を見分けられる鑑賞者はトリックにだまされず、他人の意見に左右されない

なんだか違和感、感じるなー。俺はむしろ、彼が「誤差」としている部分にこそ、「よい・わるい」の本質があるような気がするんだが。

全人類に投票してもらって、それを集計していちばん得票数を集める「よい」芸術を生み出した芸術家っていったら、ピカソになると思うけど。ピカソが「トリック上手」の釣り上手だったのかな……ってのは、思うんだけど。

結局中世ヨーロッパの芸術が「いちばんよい」ってことが言いたいんだろうか?

はてなユーザーには、実は、写真家とか、画家とか、(公募展で賞とったりする)美大生とかが結構いるって感じなんだけど。(こないだ昔の美術手帖読んでたら、顔写真が載ってるはてなユーザーさんまでいた)

そういう皆さんの意見が聞いてみたい今日この頃。