名前の英文表記 - ハンガリーの事例
だいたい「姓―名」の順になっている中国文化圏のほうが合理的なのに、欧米の不合理な方式に合わせるのは卑屈だ。中国や韓国の人の名刺は、ほとんど「姓―名」の順になっている。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/aa7c3764a7b546e3c2fd0215cc946671
日本人の人名の英語表記(というか、アルファベットでの表記)がどうあるべきか、って話題は、意外と「可燃物系」(flammable)な話題だったりする。
その原因は「合理的」とか「卑屈」とかいう言葉を不用意に使ってしまいがちなところにある。複数の表記があるのがわかっているのなら、「自分はかくかくしかじかの理由でベターだと考え、こうしている」とだけ書けばいいのに、自分が選ばない表記が「いかにおかしいか」を書くのが余計なのである
……とわかってる俺が、まず、個人的に「一番おかしい」と思う表記について書いてしまうけど、
私の場合は、メールの署名など「ABE, Shinzo」としています。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/aa7c3764a7b546e3c2fd0215cc946671
スポーツ選手の名鑑(The Sporting News の OFFICIAL NBA REGISTERなど)では、
当然「姓」のアルファベット順に並んでいて、「姓, 名」で表記。
「卑屈さ」の度合いから言ったら、これが一番卑屈でしょう。この姓名の間の「カンマ」は何を意味しているんでしょうか。(姓名が「逆」になってることをあらわしているのでは?)
姓が先になってるのが「合理的」だってのは、たぶん、並べ替えのときの話をしてるんだと思うけど、カンマを入れて姓を先に書くのは、まさにこういう名簿のようなもので便宜的に姓を先にして並べたほうが都合がいいってときの記法でしょう。
これを見習ってメールの署名に「ABE, Shinzo」と書くのは変だと思います。例えば、John Doeという人がいたとして、メールの署名に Doe, Johnとは書きませんから。(そのスポーツ年鑑に Doe, Johnと載ってる人の名前は正しくは「John Doe」なわけです。一時的に逆にしているからカンマを入れてる)
この名前の問題には、大きく分けて三つの要素があると思いますが。
- 姓名の順
- つづり
- 本人の選択
つづり
まず、つづりの問題だけど、たとえば、ABE Shinzoって書いたとしても、「アベ」と発音されるかどうかはわからない。「アビィ」とか「エイビィ」と読むやつがいるかもしれない。(神戸(Kobe)をコウビィ、酒(sake)をサキと読むように)
んで、これ日本人だけの問題じゃなくて、どこの国の人の名前でも同じことで。例えば中国の人で、Ngって名前の人がいるけど、これはもう、どう読めばいいのか(俺には)わからない。
今、 このページ→ を調べてみたら Chinese surname - Wikipedia, the free encyclopedia Ngってのは「黄さん」とか「呉さん」らしい。
このページをみると、発音と表記の問題ってのは、中国人の名前でも色々大変みたいだ。
本人の選択
例えばの話、外国の人と「郷ひろみ」の話をしているときに、「Go Hiromi」といったら、個人的には、おかしいと思う。郷ひろみは「Hiromi Go」と書くべきだと思う。(公式の表記としても、本人の生きざまとしても)
一方、夏目漱石をSoseki Natsumeと書くのは、違和感がある。森鴎外とかも、姓名を逆にするのは変かなあ。
でも小室哲也はTetsuya Komuroといっとかないと雰囲気が出ない気がする。
んで、このページ→ をみると、さらにいろいろかいてある。Japanese names in English - Wikipedia, the free encyclopedia
坂本龍一はいかにも「Ryuichi Sakamoto」って感じだけど、確かに徳川家康の姓名を入れ替えたら変。
このWikipediaのページには、つづりの話も書いてある。(っていうか、ヘボン式のヘボンって、Hepburnなんだ。知らなかった)
姓名の順
んで、姓名の順なんだけど、冒頭に引用したブログにも、ほんのちょっと書いてあるけど、ハンガリーの話は面白い。
Name order (Hungarian language - Wikipedia, the free encyclopedia)
ここに書いてあることを要約すると、ハンガリーでは、苗字が先で、given nameがあと。ただし、外国語では西洋風に表記する。例えば、Edward Tellerというハンガリー人物理学者の場合、ハンガリー国内では、Teller Edeとなる。(20世紀なかごろまでは、given name自体も西洋風に翻訳されていたが現在では一般的ではない。例えば、Andras Schiffってピアニストの名前をAndrewに直したりはしない、と。)
んで、逆に、西洋人の名前がハンガリー国内で使われる場合は、順番はそのまま。
つまり例えば、ピーター・フランクルさんは、ハンガリーのかただけど、ハンガリー国内ではフランクル・ピーター(正確にはペーテル)だと。
ここで、冒頭の話に戻るけど、こういうのをいちいち「卑屈」だとかなんだとかいうのはどうかと思う。
どちらかに統一したほうが紛らわしくなくてよいってのは、その通りだし、 ABE Shinzo がいいってのも、そうかもしらんけど。(ただ俺は Shinzo ABE もしくは Shinzo Abe。 日本のことしらん人には、結局これが一番面倒が無い。んで 「call me Shin !」 と宣言して、名前を最小に略してしまう)
そういえば、今思い出したんだけど、木村カエラはお父さんがイギリス人らしいけど、イギリスの人は「カエラ」って発音できないらしい。(ソースはこれ)
今、公式サイトをみてみたところ、biographyのページには「KAELA KIMURA」と書いてあるので、木村カエラの場合はこの順番が正式なんだろうか。