追放された者には厳格に。受け入れられた者に対しては寛大に。

これ、最近一部でブーム(?)になってる、「除名」の話絡みで、紹介されているんだと思うけど。

コンピュータプログラマが意志を通じ合うためには、追放されたものに対して各人が厳格になり、受け入れられたものに対して寛大になることが最善の方法であることを、人びとは本能的に理解しているのである。

世界開放流 — Perlのカルチャーでは、ほとんど何も禁止されていない。この世はすでに禁止事項であふれている。Perl...

追放された者には厳格に。受け入れられた者に対しては寛大に。

なんとなく、昔見た映画、スタローン主演の「ジャッジ・ドレッド」(Judge Dredd) を思い出した。

ジャッジ・ドレッド [DVD]

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こちらが引用元。

Diligence,Patience,and Humility 努力、忍耐、謙遜 Larry Wall ラリー・ウォール

原文ではこうなっている。

People understand instinctively that the best way for computer programs to communicate with each other is for each of the them to be strict in what they emit, and liberal in what they accept.

Open Sources: Voices from the Open Source Revolution

プログラマ」じゃなくて "programs" 「プログラム」

プログラム同士がコミュニケーションするときの話。

これは

「入力には寛容を。出力には厳格を。」 (Shiro:プログラマへの64の質問への回答)

とか

「送り出すものには厳格に,受け取るものには寛容に」というのはTCP/IP周りで生まれた格言だったと思うが,ロジックICでも似たようなもので,いずれも入力閾値より出力閾値の方が厳しい仕様になっていることが分かる.

2006-11-27

こういうやつの話ですね。

プログラムAとBが通信するような場合、例えば、ウェブサーバーとウェブブラウザが通信するような場合、そのやりとりについて、色々と約束事を決めておくわけですが。

いろんな要求(例えば、どこそこのページ見せろ、みたいな) を送信したりする場合には、約束事に忠実にしたがって厳格に送信すると。

一方、それを受信するほうは、多少、約束事と違うデータが送られてきても、できる限り寛容に受け入れましょうよ、という話。

追放されたものに対して各人が厳格になり、受け入れられたものに対して寛大になることが最善の方法

“w—́A”E‘ρAŒª‘»

どうしても「追放」と訳したいなら

「追放しようというときにはルールに厳格に、受け入れるときにはどんな人でもなるべく寛大に」

ぐらいか? (意訳過ぎるような気がするが)

でも正直、人間同士のコミュニケーションでこれを実践するのは大変そうな感じがする。なんでそう感じるのかな。疲れそう、っていうか。

「追放されたものに対しては厳格に」「受け入れられたものに対しては寛大に」

村社会の村八分っぽくて名訳だと思う。確かにこれが「最善」という感じ。

追記:
「これは不思議だ。しかし、奇妙なことに……」以降の訳も少し不自然な感じがする