Chim↑Pom 友情か友喰いか友倒れか/BLACK OF DEATH・清澄 hiromiyoshii
清澄にあるギャラリー、hiromiyoshii、
参考
そこで開催中のChim↑Pomの個展。
参考:
題して「友情か友喰いか友倒れか/BLACK OF DEATH curated by 無人島プロダクション」
ギャラリー奥に粗末な小屋が作られている。
小屋の壁はブロックで組んであって、トタン屋根がかかっている。
そこにカラスとネズミとChim↑Pomのメンバー水野氏が入っている。
で、小屋の壁には窓があるんだけど、マジックミラーになっていて中から外は見えない(らしい)。で、外から見ると、その窓には額縁がつけられている、と。一応出入り口はないようなので密閉されているといえば密閉されているんだけど、通気の口があるので、外の音は聞こえている様子。
まあ、窓に額縁がついてて絵みたいな感じにみえるわけです。「部屋とワイシャツと私」ならぬ「カラスとネズミと水野君」みたいな。
しばらく様子を見ていたら、お盆の土曜日なのに (さらに小山登美夫で展覧会やってないのに) チラホラ見物人が来て、楽しそうに中の様子を見ていたけれど。
……俺はあんまり楽しくなかった。
この作品の正確な意図はよくわからないけど、俺の解釈を言えば、小屋の中は、彼にとっての「世界」のすべてで、窓の外から覗いている見物人は、神様のような、小屋の中の人からは想像も付かないような存在になってる、と。(ジム・キャリー主演の映画「トゥルーマン・ショー」みたいな)
なぜカラスとネズミがいるのかは、よくわからないけど、小屋の「外」には、それら以外のもの、つまり、人間にとって、楽しくて暇つぶしになるものが沢山あるわけだけれど、例えばの話、小屋の中で生まれた人がいたとしたら「世界は白いブロックの壁でできていて、カラスとネズミがいるところ」だと思うことでしょう。(部屋の外に何があるのか想像すらできない)
実際には、なかにいる水野氏は「外の世界」を知っているわけですから、小屋に「閉じ込められる」のは大変なことだと思いますが、まぁ要するに、よく自殺する人がいますけど、そういう人達にとって、「世界」ってのはこの小屋みたいなもんなわけです。
細かく言うと、小屋の中にはカラスとネズミ以外にもウェットティッシュとか、ノートとか色々あって、俺が見に行ったときには水野氏は、ノートに日記を書いていました。(カラスの振る舞いを観察して観察日記みたいなのを書いていた。他に書くことないんだろうけど)
なんだか俺がこうしてブログを書いている様子と通じるものがあるような気がして憂鬱な気分になった。
我々がいる世界と、この小屋は何が違うのだろうか、といえば、もちろん、我々の「世界」は一生かかっても周りきれないくらい広いし、人は大勢いるし、パソコンはあるし、Perfumeもいるし、おいしい食い物やらお酒があったりする。将来何が起こるんだろう、という希望もある。
でも、昔、子供の頃熱心に遊んでいたのに、今は「子供だまし」にしか思えない「くだらないもの」ってのが誰にでもありますよね、例えば積み木遊びとか、おままごととか。
今やってる仕事、今付き合ってる友達、今趣味でやってること、そういうのがぜんぶ、ままごとのような「くだらないもの」に思えてしまったら、後に残るのは水野氏が見ているようなつまらない風景だけになってしまうことでしょう。(カラスとネズミってのはつまらないもの、普段視界に入れたくないと思うものの象徴ですかね?)
水野氏にPSPかなんかを差し入れてあげたら問題は解決するでしょうか? なかなか哲学的な作品だと思いました。
この展覧会、Tokyo Art Beatにものってないし、hiromiyoshiiのサイトにも出てない(今日、今現在) ので、開廊時間とか休日が全然わからないですね。買い物のついでに寄って、閉まってたらあきらめよう、と思って行ったので俺は別にいいんですが。(ふつうは日、月休みで昼の12時からですが、お盆休みがわからない)
これ見る前に、船橋のイケアにいって、湾岸道路をエアコン切って窓開けて走ったらどんな感じだろう、という実験をしたら本気で吐き気がしてきて(温度計が37度とかになってた) 気分悪いまま、これを見たので、なんかネガティブな感想になってしまった。