日本画・洋画逸品展、渋谷東急本店・8階美術画廊

気安く人様のブログを紹介して、その結果、なにか迷惑をかけてしまうことがあるかもしれない、と思うと、リンクするのも恐ろしく思えてくる今日この頃だが。

いつも楽しく拝見している、Paseo de los museosさん(たまに微妙に辛口になるのが楽しい) で紹介されていた、渋谷東急本店の日本画・洋画逸品展をみてきた。

まず、原宿のほうから散歩を楽しみながら渋谷へ。

途中で、「巨大bB」発見。(桑沢デザイン研究所の前あたり) これ実はものすごく大きなハリボテ。

ハリボテ前に実際の車が置いてあって、おねえちゃんが車の機能を色々紹介してくれたんだけど、これは結構凄い車です。若者向けのオーディオ機能がすごい。

その後、東急ハンズの近くにあるコカ・コーラ自動販売機へ。シーモとかいう、バーコード読み取り機がついた自販機に、携帯電話で読み出したバーコードをかざすと、コーラが一本ただで飲める。

なぜタダで飲めるのかはいまだに理解できないが、ありがたかった。

その後、東急本店の逸品展へ。

日本人画家による日本画・洋画が、何十点か。作品のうち、いくつかには値札がついている。

「い、いっせんまんかー、これ!!」などと下世話なことを考えながら見てまわる。全部で総額一億円以上あったような気がする。

片岡球子の富士山の絵、ひやかしで読んでるシンワ・アートオークションのカタログでは度々みていたが、実物を初めて見た。藤田嗣治荻須高徳中川一政その他大勢。

西田俊英という人の屏風が、幽玄というかなんというか、日本人ぽくない日本画のような気がして、思わず見とれてしまった。これも一千万以上。「なんだこの素人は」と思ったのか、画廊の人がよってきて、この人は院展で入選した大家でうんぬん、と教えてくれた。

一千万あっても、家がそれなりでないと、飾っても映えないよなーという感じ。外国の人の家なんかのほうが似合いそうな気も。

日本画東山魁夷平山郁夫、伊藤深水その他。

ところで

ところで、10万の絵と、1000万の絵は何が違うのか。「絵は、自分が見て、好きで楽しめればそれでいい」といった評価軸もあるだろうけど、一方、「市場」があって価値、つまり「値段」がある程度定められてくる評価軸もある。ここで、値段の高い・安いはその作品の「価値の優劣」を決めるといえるのだろうか。

俺は言えると思う。そしてそれは市場で金を出す大勢の人が決めるんだと思う。映画やCDの売り上げ総額なんかと一緒。(不動産とか株の値段の付き方とも似ていると思う)

そういう世界で理解できるだのできないだのという理屈をこねてもたぶん通用しないんじゃないか、というのが、この展覧会を見た感想。(だって奥さん、絵を描いて1000万で売れたらすごいと思いませんか?)

ここらへんは、たぶん、最近話題の「みんなの意見」は案外正しいにも通じるような気がする。正しいかどうかは置いといて、ある集団内でなにかを「決めている」ということ。

さらに、こういうのは、CD・映画と同様、ある種の「グループ」によって、市場が分かれているはず。(この展覧会だったら、主たる想定顧客は金持ちの爺さん婆さんだ)

かといって、ある層を想定して客におもねて、気に入られそうな絵を描いても飽きられるだけだったりして。

客が求めているものを作るんじゃなくて、客の予想を超えるものを出して驚かせないと意味がない。ここらへんはたぶん、普通のマーケティング論と全く一緒のような気がする。「1割の客に理解されて、ほとんどの人に嫌われるぐらいがちょうどいい」とか、日経ビジネスでどっかの社長が新製品開発の話でいっていたような気がするけど。(カシオだったかなあ。マツダ? 忘れた)

ここで大事なのは、客は「心にもない、おべんちゃらのうそ」を言わずに、いいと感じたものは「いい」と、そう感じなければそう感じないと意見を発表することだ。俺は、作品の作り手はお世辞を言われるんではなく、正直な意見を言ってもらうことを求めているんじゃないかと(勝手に)思っている。

ここらへんは、ちょっと前に話題になった、アマゾンのレビュー欄でテレビゲームが批判された話に通じるものがあると思うけど。

このときは、「おまえ批判するならちゃんと理解してからにしろよ」派と、「クリエイター様はそんなに偉いのか。おれがつまらないと思ったら、そのゲームはつまらないのだ」派にわかれていたのかな? ちゃんと読んでなかったけど。

naoyaグループ - naoyaの日記 - 作品を批判すること

石原はどちらかというと、どっちなんだろうね。